委ね方は、勉強できない。

クリスチャンの家庭に生まれ育っていないわたしの信仰などというものは、所詮芥川が「西方の人」でなぞってみせた、知識偏重の、聖書への文学的アプローチに過ぎないのかもしれない。「気がつけば其処に神がいる」というような、二代目以上のクリスチャンの、あの受肉した信仰へは、永久に辿り着くことはない。
主に委ねることを身体で知っているのは、クリスチャンの家庭に育った牧師である。「神に委ねたらいい」とクリスチャン家系の友人牧師に何度も激励してもらったが、たぶん今もなお、委ねるとはいかなる体験を指すのか、イメージさえつかめていない。寂しい。