福音の積み重なり

次の日曜日の教会学校教師会のための、聖書箇所に関する説明を準備。将来のことなど、いろいろ悩む日々だけれども、こうやって聖書に向き合っていると、安心する。聖書から様々な発見をすることは、とても創造的な作業に思われる。
ヒレベーク『イエス(第二巻)』を読んでいて、イエスの死がどのように解釈されたか、その解釈層が考察されていて面白い。“A、終末的な預言者=殉教者、コントラストの図式(あなたがたは彼を殺したが、神は彼を蘇らせた)”“B 救いについての神の計画、救済史的図式” “C、贖罪の、和解をもたらす死、救済論(ソテリオロジィ)的図式”。Aは使徒言行録のペトロの説教など。Bは詩編119や22などの詩編や『知恵の書』、そしてイザヤ書53。義人の苦難(と救済)→預言者の苦難→預言者の殉教と栄光。単純にはイザヤ書53の「苦難の僕」とは結合しない。さらにCの贖罪論の謎。後期ユダヤ教のそれとの、なんらかの関連。そしてそこに刻印されている(はずの)、受難直前のイエスの言動への思い出を考察することの提案。
いずれにしても、イエスの死と復活の福音が、すぐに現在あるような複雑な神学体系としてまとまって理解され信じられ教えられたのではなく、伝承の多様さのなかで熟成され、瞑想され、(形成されつつあった)旧約聖書(と外典)に従って解釈されるなかで、重層的に豊かな福音となっていったことがよくわかる。