昨日、精神に重荷を負われた方と面談。幻聴や幻覚の内容は、傾聴するとかえって相手の症状を悪化させる恐れもあると聞いたことがある。かといってあからさまに遮断もできないので、ある程度は聴く。
十字架が重すぎて、という一言。幻覚幻聴で片付けてもよいのかもしれぬが、やはり無視できない言葉。過剰な意味を背負わされた十字架の重さを、その方は敏感に感じ取られたのか、とも思う。
また、わたしの祈りのなかの「イエスさまがともに」という一言に、その方は応えられた。でも、見える人とも一緒にいたいんです、と。
この方をわたしは、見えもつかめもできないアリガタイ教えで安心させたのではない。安心して帰っていかれたその方から、わたしは見える神を教わった。