三日目に関するメモ

ヒレベークの『イエス(第三巻)』を読み始めた。聖書にはイエスは三日目に復活したと信仰告白されているが、この「三日目」というのが、単純な時間経過のことではないらしい。旧約聖書のなかでは「三日目」というのは30回くらい出てくるという。いろいろな使い方がされているが、共通するのは重要な場面転換が起こるシーンで登場すること。だから「聖書に書いてあるとおり」と告白されるとき、イエスの復活の字義通りの意味が、旧約聖書に証拠として書かれてあるという意味ではないこと。むしろ、旧約聖書に「三日目」が言及される際に必ず書かれてあるとおり、神による大転換があったのだ、それが今回は前代未聞の、イエスが神に起こされた大事件なのだ、というような意味であること。また一方で、当時のユダヤ人の死生感覚として、息が止まったらすぐ死んだとは見做さず、三日経って初めて死んだという確信が得られたらしいこと。たぶん遺体の腐敗と関係があるのだろう。