イエロー感覚に学ぶ

http://momas.jp/exhibitionguide/exhibition/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae70%e5%b9%b4%e4%bb%a3%e5%b1%95-1968-1982/
埼玉県立近代美術館の『日本の70年代 1968-1982』を観に行った。60年代末期の、あの独特のむせかえるようなアングラや劇画、映画批評や文学、反戦・・・・といったものから、70年代に徐々に熱が冷めて垢ぬけてゆき、80年代のバブリーなデザインに至る、そういう流れを感じた。
そんななかで谷川晃一が宮迫千鶴や青木彪と提唱したというアール・ポップという概念が、今日の収穫だった。さらにそれの進化形のイエロー感覚という概念。これらはまさに、細野晴臣が「オリエンタル」という言葉で模索していたものと同じだ。時期も同じ、70年代後半。
日本が西欧の文化をどんどん模倣し、そこに微妙に日本の感覚が混入する(というより下地となる)。そうなると、西欧化された日常ではもはや見られなくなった日本古来の伝統文化が、むしろ新鮮なアジア文化として再発見・再受容される。そういうプロセスを経て、日本の大衆文化は日本人自身にとってさえ、ただの西欧の模倣ではない、かといってたんなる昔馴染みとも思えない、独特の「オリエンタル」なものとして認識されるようになる、というような消息である。
今、展覧会の帰りに下北沢のレコード店で買ったゴールデンカップスのレコード二枚を聴いている。それらはまさにアール・ポップでありイエロー感覚である。たしかに見事な演奏技術、原曲にひけをとらないカヴァー曲たちではある。しかし機材の限界によると思われる、アメリカやイギリスにはないギター音のチープさ。また彼らのオリジナル曲で歌われる、いかにも歌謡曲なメロディーや日本語の響きと、それを支える強力な西欧的リズム体との絶妙な一致。アメリカ人やイギリス人が当時これらを聴いたら、馬鹿にして「こんなのロックじゃない」と言っただろう。だから面白いのだ。「これはロックじゃないか!」なら、もう日本人が演る意味もない。
ゴールデンカップスの人たちは、別に「日本のロックをやるぞ」と意気込んでいたわけではなかっただろう。もっと素朴に、日本に「本場の」欧米のロックを取り入れようとしただけだろう。それが結果として日本独自のロックになっている。ここに学ぶべきものがある。
わたしは西欧の神学を学ぶ。何も肩肘張って「日本土着のキリスト教をつくってやる」なんて思っていないし、そんな必要もないと感じている。そうではなくて、地道に模倣を続けていたら、自然に自分のなかに土着するのだ。たぶんもうすでに、わたしの信仰や神学は、西欧のものと著しく異なっていると思う。留学もしたことない、海外に行ったこともない人間が、情報だけで学んで、また信仰しているわけだから、あたりまえだ。そして、それが面白いのだと今日あらためて思った。もちろん機会があればいつか、いわゆる「本場」ってやつ?を見に行きたいものだが。