1960-1993

ウルトラマン』第23話「故郷は地球」を観た。ジャミラという、子どもの頃、よくシャツの襟に首を引っ込めて真似をした怪獣が登場する。再放送を観たのは幼稚園児の頃か。だから当然ストーリーなど理解できず、怪獣のヴィジュアルのみにかっこよさ(親しみ)を感じたものだ。しかし今日観て驚いた。というより、不覚にも涙。
40歳にして幼少の秘密を知った思いである。ジャミラとは、なんと米ソ冷戦の宇宙競争のなかで犠牲となった、ある国の宇宙飛行士だった。彼は宇宙で遭難し、事故は隠蔽され彼は見捨てられる。だがジャミラは必死で生き延び、その身体は宇宙に適応して怪物となり、彼は自作の円盤を使って地球へ戻る。復讐のために。
イデ隊員は張り切って怪獣退治の武器を開発するが、事情を知るや激しく後悔。ジャミラ退治後、その「みごとな」墓碑銘*1の前に立ち尽くす。彼の表情は逆光で見えない。彼は呟く。“犠牲者はいつもこうだ。文句だけは美しいけれど。”。それでドラマはあっけなく終わる。最悪に後味の残ってしまう終わり*2
また、ジャミラが最後ウルトラマンにやられて、泥まみれでのたうちまわり、万国旗*3を泥に浸す場面がある。日本の国旗やアメリカの国旗が泥に染まる様子が、執拗にクローズアップされる。実相寺昭雄監督の、明確な政治的メッセージだと思われる。「発展と調和」へと大進歩を遂げゆく日本の、子どものエンターテイメントの象徴たる『ウルトラマン』において、こういうことをやらかした日本のクリエーター達に、深い敬意を感じずにおれぬ。

*1:JAMILAの墓碑銘には1960─1993とあり、その年代がわたし自身の生きている時代と重なっていることが、虚構と現実との境をなんとも曖昧なものにした。当時としては「未来」のつもりでの年代設定だったのだろうが。

*2:他にも、フランス支部の隊員がジャミラの秘密を打ち明ける際に、“それは”と言いかけて、“いや、彼は”と言い直す場面がある。他者なのか、滅ぼすべき必要悪にすぎないのかの葛藤を、最高に短い言葉で濃縮している。

*3:それは「平和会議」の会場の旗である!