皮を剥いてゆく

「我々はプロテスタントだ。だからあらゆることにプロテストしなければならない」と言ってた牧師さんもいたけれど、プロテスタントだって正統主義の時代もあったわけで、というか正統主義になるべくしてなっていったわけで、こうした発想に、なにか違和感を感じざるを得ない。パンクであれってことかな。
幼児祝福式が先日多くの教会で行われたようだが(わたしが身を寄せている教会でもなごやかに行われた)、「子どもの頭に手を置いて祝福するのは呪術的で、牧師の自己顕示欲ないし権威主義の表れである」とする牧師もけっこういたりする。素朴に思う。厳密に呪術「ではない」象徴ないし行為って、宗教のなかにあるのかなと。つまり、すべてが完璧に理性で把握できる宗教って。
礼拝の儀式は呪術で権威主義だ。教義や教理は人間が編み出したもので、聖書に書いていない。聖書は人間が書いたもので、絶対じゃない。・・・・・・玉ねぎの皮を剥き続けて、何が残るんだろう。