ナイーブとナーバスをよく混同する。カタルシスをカタストロフィとよく見間違える。
録画しておいた『ウルトラマン』第30話「まぼろしの雪山」を見る。“ゆきんこ”と呼ばれる「親なし子」と、ウーと呼ばれる怪獣が、人々の利権に巻き込まれ、徹底的に排除される、なんとも後味の悪い話。なかば強引にハッピーエンド仕立てにはしてあるが、敏感な子どもなら何か気付いたかもしれない。
これもまた録画しておいた『日曜美術館』の「アートシーン」で、青森県の“さしこ”という着物の紹介をしていたのだが。後半の“ボロ”という、つぎはぎだらけの着物に、ぎょっとなった。精緻な修繕の積み重ねは、美醜じゃなくて、人間の受けてきた無数の傷とその回復の痕跡そのものというか。もはや着物じゃなくて肉体というか。人間というか。
「アートシーン」では、能の面(おもて)や着物の紹介もしていたが。面のあの、人間の顔を削ぎ取ったのかというほどの肉々しさは何なのか。モノなのに。精神が表れているとか、もはやそんな表現では収まらない。面って、持ってみると意外なほど軽い。しかし観ている分には、量れないほど重い。