2013-01-18 追記 昨日の夕方、親しい人の死に直面したばかりの人と話した。慟哭する人に、祈りの言葉をそっとかぶせた。今さら回顧するなら、人はaloneになることができれば、aloneを知れば、そこには慟哭ではなく静かなる受容が生じたのかも知れない。しかしわたしにできたことは唯一だったのだ。なぜならわたしの信仰は排他的に唯一なのだから。