何も意味していなかった

顔は泣きながら笑っていたり、笑いながら憤怒を秘めていたりする。それが目に見えて分かるから、対話者は畏れを相手の顔に抱く。矛盾律が矛盾するそのままに真理として生きる場は、あなたとの出会いそのものだ。
ミニストリー』附録『七つの大罪』(1952年)を観る。最後に何気なく加えられた「八つ目の大罪」すなわち「想像の罪」というのが、なんとも示唆に富んでいる。シニフィアンシニフィエ。すなわち意味されるものの不在ないし隠蔽によって、意味するものは無限の欲望を掻き立てる。
失われた財布(貪欲と憤怒)、するりするりと追跡を逃れる女神(怠惰)、13歳の少女の想像妊娠(淫欲)、物言わぬ猫への激しい憎悪(嫉妬)、言葉に隠された二重の意味(美食)、失われた宝石(高慢)。常に何かが隠匿され、隠されたものの意味をめぐって、人々の欲望は膨らみ、燃え上がる。
オムニバスであり、それぞれ別の監督でありながら、欲望をそそるものの秘匿と、欲望する主体(たち)の、その欲望の燃え上がりという主題。それらを見事に一括して風刺する第八の罪の結末。映画は全体として見事な調和を奏でていた。これぞオムニバスの粋。
それぞれの監督も凄腕だけれど、総合プロデューサーというか、企画ないし編集者の腕に唸らされる。まさに編集(組み合わせ)の妙だなあと。クラブで一流のDJにレコードをかけてもらったような爽快さだ。
次号の映画付録は『ヘンリー八世の私生活』か。どんな映画だろう。今から楽しみで仕方ない。最近、古い映画に新鮮な驚きを感じる。