それは記憶の遺産である。

水曜日にS先生の教会に行った際、夏の訪問時にもお話しする機会があった、80前後の男性と再び談笑した。彼の少年時代過ごした町が、わたしの故郷にきわめて近いということもあって。彼の過ごした小学校を、わたしは知っていたから。
小学生だった彼が校庭で友人と遊んでいた際、米軍機の機銃掃射に遭った。とっさに身を伏せた。起きあがると、一緒に遊んでいた友人が、上半身と下半身に引き千切れて息絶えていたが、涙も出なかったという。昨日遊んだ友が今日は死ぬ。それが日常であったから。思えばわたしの母もほとんど同じ体験をした。母の友人も即死したという。米軍機のコクピットから、パイロットの笑顔が見えたと母は言うが、この彼もまったく同じことを言った。また、校庭に爆弾が落ち、飛ばされた友人が壁に激突、壁にへばりついた彼の遺体をひきはがすと、周りはオイルで煤けて黒いのに、彼の形に白抜きされていたという。
彼の「白抜き」は、いくら拭いても取れず、それは悔しかったと。そういえば少年時代、わたしは父や母からよくこういう話を聞いて育った。
そういえば子どもの頃は、そこいらにいる大人たちから戦争の日常について聞かされたものだったが、いつの間にか、そういう話もテレビの向こうだけになった。