死ぬ気で

 最近聖書通読をする気力も失せていたが、少し再開。列王記下で、いろいろ「おっ」と思うことあり。7章まで読んで、今晩はやめる。
 サマリアがアラムに完全包囲され、母親が乳児を煮て食べるほどの飢餓状態に陥ったとき、重い皮膚病の四人が城門の入り口で言う。「どうしてわたしたちは死ぬまでここに座っていられようか」。
 重い皮膚病は忌み嫌われ、天罰の象徴ともされていた。たとえばレビ記13章でも皮膚病は非常に神経質に扱われている。皮膚にちょっとでも異常が認められれば隔離されていたようだ。
 城門の入り口、要するに都市の片隅で、都市に出入りする人に物乞いするしかなかったであろう「弱者」。しかしこの「弱者」こそが緊急時に柔軟な発想を与えられ、常識に縛られずに行動し、しかも倫理性さえ失わず(7:9)、結果的に共同体によい知らせをもたらす。
 どうせ死ぬだけさ。それがただのため息や虚無感に終わらない。どうせ死ぬ覚悟なら、生き延びるためにやれることやろうよ。そんな気概が、社会的に「弱い」と評価されていた人々から湧き上がる。これぞカーニヴァル