歴史に憧れる/学ぶ

 ビートルズなど'60年代のロックやポップスが大好き。その時代の文化も大好き。寺山修司澁澤龍彦や・・・・・あるいは'50年代のジャズが大好き。その時代の文化が大好き。それこそ母校で回顧展をやっている「具体」運動やネオ・ダダなど。
 ところで、どんな時代にも翳がある。わたしが好きな'60年代というものは、'60年代を過ごした人の'60年代ではない。わたしの'60年代には翳がない。それはヴィンケルマンをとおして古典主義者〜ロマン主義者たちが憧れたギリシャ・ローマ時代のようなものだ。
 そこで気をつけないといけない。「江戸時代はエコロジー文化だった」的言辞に。江戸時代は今以上に死と隣り合わせではないか。
 教会批判に「初代教会は今のようではなかった」というのがある。歴史を学んで現代に受け取りなおす。それはきわめて重要な作業である。現代に捻じ曲がってしまった問題があるなら、歴史に学んで批判的検討を加え、必要があれば是正してゆく作業が必要となる。しかし歴史に“吸い込まれて”しまうと、今の教会、それも日本の教会、さらに地方の教会というものは、「本来の」教会と比べてなんでもかんでも悪い、隔たってしまっている、という嘆きに堕しかねない。
 歴史に学びつつ、過去に思いを馳せつつ、しかも過去とは「違っている」、それも厳然と隔たっている今のかけがえのなさを評価すること。