ひまじん

 ふだんはCDプレイヤーとして使っているLDプレイヤーを外してテレビにつなぎ、久しぶりに昔のアニメを、連れ合いと鑑賞。昨日は『トップをねらえ!』今日は『王立宇宙軍』。ガイナックスの名作。
 中学生のころ、漫画のイラストを模写したりすると「絵が上手だな。おれの似顔絵も描いてくれ」などとガキ大将から頼まれたりしたものだった。ところが、ちょうど高校に入ったころから「おたく」という言葉が広まり、絵を描いたり、ましてやアニメを観るなどというのは肩身の狭い趣味になってしまった。あの境目は実に不思議だった。アニメに限らず写真や鉄道や、なんでもかんでも「おたく」ということになり、広く浅く芸能界を知っていて、スポーツに精を出すことが美徳となった。で、わたしは表向き剣道をしながら、ますますおたくの道に溺れていった。否、おたくという言葉を知ったことで、逆に自分の立ち位置をはっきり知ったのかもしれない。高1で洗礼を受けたのも、そういうおたく的選択の一部だったとさえいえる。
 『王立宇宙軍』を38歳になった今あらためて観なおす。主人公の宇宙飛行士は祈りをもって最後の台詞とする。というより、映画で語られる最後の言葉が、祈りであるということ。
 理系で、教会に通い始めていた高校生のわたしにとって、大好きな物理や数学の世界と自らが興味をもちはじめた「神」との接点を、衝撃をもって受け止めたのがこの作品だった。別に祈りを確認するために観たわけではないのだが、今観て、また新たな衝撃を受ける。