直立する二人

 連れ合いと古刹を散策していたときのこと。長い階段を昇り、お堂と紅葉を愉しみ、階段を再び降りる。ふと、降りるわたしの真正面、階段の終わりに、50代と20代の女性二人がまっすぐこちらを見上げ、手を合わせていることに気付く。その視線の鋭さに、思わずよけて階段を降りる。二人の傍を通り過ぎ、振り返ると、二人は微動だにせず階上を見上げ、黙って手を合わせ続けている。
 お寺の境内で時折念仏をとなえるおばあさんなどを見かけることはあるが、目をつむり穏やかに祈っている場合が多かった。日常風景の一部とでも言おうか。しかしこの母娘、あるいはそうではないのかもしれないが、彼女らは風景から飛び出していた。眼光鋭く、微動だにせず、一言も発せず、階上遠いお堂を見上げて手を合わせていた。何か辛いこと、祈らずにおれないことがあったのか。
 わたしは連れ合いに尋ねた。「わたしたちの祈りも、傍から見るとあんな感じかな?」彼女は答えた。「さあ?そもそも外で祈らないじゃない?礼拝堂で祈っていても、外の人からわたしたちは見えないだろうし。」
 人間は、いつから祈ることを覚えたんだろうか。数千年、否、数万年の昔・・・・生きるための無駄のない動きをあえて停止し、祈り始めた瞬間。「いのり」は新たな「いのち」となったのだろうか。