タレント

 身を寄せている教会で、牧師さんがマタイ25:14−30で説教した。一タラントン預かった人は、自分が二タラントン、五タラントン預かった人に“比べて”ちょっぴりしかない、それを失えば主人に怒られる、と考えただろうという話。でも一タラントンだって、六千デナリオンにもなるのだというところへ話は落ちた。納得納得。
 『龍馬伝』が面白かったのは、この“他人と比べる視線”だ。後藤象二郎山内豊信に涙ながらに龍馬について告白する。「妬ましかった!」。最終回では、岩崎弥太郎が龍馬のことを、やはり涙まじりに「お前は太陽だ!」となじる。龍馬はそんな弥太郎に、お前にはわしにはない才能がある、と語りかける。上記の説教と通じるメッセージだ。弥太郎が龍馬からのメッセージを受け取ったのか、それとも、メッセージの寛容さゆえにいっそう「完敗だ!」と打ちのめされたのかは、まだわたしにも解釈しきれずにいる。
 ドストエフスキーだって、表面的な読みかもしれないが、わたしが面白いと感じるのは、この“他人が気になって仕方ない”という点につきる。わたしがこういう話をすれば、首を傾げる人も結構いる。「そんなに他人の眼が気になりますか?人は人、自分は自分でしょ?」。
 他人を気にせず自分の主張を一貫させることができるのが成人であるなら、わたしは未熟なままだ。だが、さまざまな物語を見聞きする限り、他人の芝生が気になり、他人から自分の芝生がどう見えるか気にする人は、意外と多そうだ。

 夜、連れ合いとクリスマス飾りに賑わう繁華街へ。心地よく疲れて帰ってきたら、家の近所で犬か猫の糞に足がすべった。