小冊子

 教団総会では、一部の議員達に小冊子が配られていたことを知る。そこには「○=賛成し承認すべき議案 ×=反対し否決すべき議案」として、全議案に○×がつけられている。さらには「選挙の際、これらの方々のお名前をお書き下さい。」との、三役や常議員選挙で指名すべき人名まで列挙してある。
 配布者はそれが後ろめたいことだと分かっているようである。濃い大きな文字で「この資料は肌身離さずお持ち下さい。間違っても、紛失したり、置き放しなどされないよう、くれぐれもご注意下さい。」と、下線まで引いて書かれている。
 わたしは、福音主義教会連合の人たちに友人もあり、連合長老会の関係の人にも尊敬する人がいる。彼らの神学的主張に頷くことも多かったし、彼らに学んで、カルヴァンの教義学に興味を持ち、バルトも学ぶようになった。
 彼らは本来こんな姑息な手を使わなくても、堂々と神学的主張をすることができたはずだ。それだけのものを彼らは持っている。そして、異なる神学的背景を持つ人たちと、たとえ一時喧嘩腰になっても、冷静に理性的に語り合うこともできたはずだ。
 こんな小冊子が配布され、「なるほどそうしよう」では、どこに思考があるのか。どこに神「学」があるのか。実に残念であり、悲しい。もはや話し合いの余地はないのだろうか。