ダブル・スタンダード

 バーン&ボニー・ブロー著、香川檀、家本清美、岩倉桂子訳、『売春の社会史 古代オリエントから現代まで 下』筑摩書房、1996.を読了。上下巻あわせて、相当読み応えのある本だった。
 結論として著者は、売春を完全に非合法として取り締まるのは不可能とし、成人間の性行為は金銭の授受の有無に関わらず合法とすることを提案している。そして未成年者の性行為や人身売買、経済格差や様々な犯罪との関係など、むしろ社会背景との関連を直視すべきであると。
 著者は売春が「逸脱」であると見なす男性的思考を繰り返しテーマに挙げて批判している。適齢になれば結婚し子どもを生む家庭を作るのが正常で、そうでない男女、ましてや同性愛はすべて逸脱であるというスタンダード。このスタンダードが売春から人を「守る」どころかどんどん売春とそれに伴う悲惨を生み出しているという事実。スタンダードによって取り締まろうとすれば別の形態の売春が生じ、あるいは取り締まる側の権力の絶大化や収賄などの腐敗化を招く、等々。
 売春というテーマをとおして、性とは何か、わたしたちはどのようなスタンダードをもって性を枠付けしているか(してしまっているか)ということを深く考えさせられた。

 最後に、著作中の引用を孫引き。
 “それは吐き気をもよおすほどひどい場所である。部屋の一方には、よごれた床から一メートルたらずの高さに幅一・二メートルほどの棚があり、古びたむしろが二枚しいてある。部屋には家具らしいものはなにひとつない。テーブルもいすも、それどころか窓すらない。もはや使いものにならなくなった不幸な売春婦は、中国人の医者からも見放されると、おまえはもう助からない、と言いわたされる。そして、夜、この穴ぐらのような「病院」にむりやり運びこまれて、棚に寝かされる。そばには一ぱいの水と一ぱいの飯、それに小さな金属製のランプが置いてあるだけだ。この建物の管理にあたっている人間はランプの灯油がどのくらいもつか知っていて、灯油がなくなるころ「病院」にとって返し、ドアのかけがねをはずして中へはいる。たいていの場合、中の女性は餓死するか自分の手で命を断っているが、ときには「医者」が入ってきたとき、まだ息があり、命の火がもえつきていないこともあった。だが、彼らにとってはどちらでも同じだ。彼らは死体をひきとりに来たので、けっして手ぶらで帰ることはない。”「サンフランシスコ・クロニクル」1869年(『社会史 下』、149−150頁.)