マクグラスをおやつに

 昨日はちょっとしんどいことがあって、しんどい午前中を過ごす。身を寄せている教会の牧師に午後からお茶に誘われていたので、昼食後教会へ出かける。この教会の2階はさながらカフェのような、洒落た小さな空間になっているのだ。
 愚痴で満たされるかと予想していたが、珈琲をすすりながら、実に愉しい会話の時間となった。
 彼はわたしと違い、いわゆる福音主義教会連合の系譜に属しているのだが、自身の発する言葉の意味をつねに距離を置きつつ吟味する。そしてわたしはわたしで、自分の言葉や行為について、拙くとも神学的に考察を行おうとはする。とくに今は。だから、出発点が異なるわたしたちは、非常に話があい、会話も弾むのだ。
 自分の発する言葉を直情的に確信するのではなく、さりとてやたらに懐疑主義の袋小路に陥るのでもなく、「今のわたしにとってはこうとしか言えない」という場所から、なぜ「今のわたしはこう」なのかをも含めた言説を相手に発信する。また、相手からもそのような発信を受け取る。そうすると、相手との思想的立場が異なっていても、いやむしろ異なっているほどに、愉しい話し合いとなるものだ。