御言葉が迫る

 ヨハネ21:18を、いつも心に抱いて牧師の仕事をしてきた。「はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」。
 入院を拒んでいた人が、入院し、亡くなったときも、その人の信仰をここに重ね見た。そして今再び、自分自身を当事者として考える。今自分に与えられようとしている道に、進むべきか否か。独身時代、任地にはまさに「腹をくくって」赴任した記憶がある。しかし今は大切な連れ合いがいる。
 行きたい所へ行きたいというほど彼女もわたしも幼稚ではない。かといって、行き先が究極に厳しいかもしれないと予想され、まだ傷癒え切れていない連れ合いのことを思うとき、ヨハネ21:18を彼女と共有できるのか。リアルに共有できるのか。