ゆるやかな、同時多発的な

・サンドの『ユダヤ人の起源』からメモ。発掘調査から、ダビデ〜ソロモンの壮大な宮殿は存在しなかった。北イスラエルにはそれなりの王国が出来たが、南のユダはごく小さな農村だった。サンドの仮説。ユダは「イスラエル」という名を借用しつつも、一神教だったことのないイスラエルを痛烈に非難した。
・民衆が大挙して集合し、そこに政治的リーダーが現れて演説、みたいなイメージは絶対王政以降、もっと言うなら19世紀以降。古代の王は民衆の支持などまったく必要なかった。民衆と貴族で言語さえ異なった。従って「一神教」はバビロンに強いつながりのある知的エリート達が長い年月かけて培ったもの。
・考古学的には出エジプトは証明不可能、また大規模なバビロン捕囚さえ当時の交通手段では不可能。さらに下ってディアスポラ以前にも爆発的にユダヤ教徒たちは地中海沿岸に広がりを見せており、「ディアスポラ」を紀元70年の出来事のみに劇的に結びつけるのも不可能。
・まだ半分しか読んでいないが、サンドの考えでは「人種」すなわちネイションとしての「離散したユダヤ人」はごく近代の発明物で、世界各地のユダヤ人は実際には伝道されユダヤ教に改宗していった人々(つまり異邦人)のコミュニティだったということらしい。しかもその信仰は多様。
・ヘレニズムとヘブライズムを対極的に考えることも、もしもサンドにそのまま従うなら不可能のようだ。初めて一神教として整った政治体制をもったハスモン朝は、きわめてヘレニズム的特徴をもった機構、文化だったという。
・『歴史秘話ヒストリア』で後醍醐天皇をやっていた。かなり劇的に脚色しているはずだが、それでも天皇が現代よりもずっと素朴でアクセスしやすい小さな権力者だったことが分かる。また天皇の反逆の様子から、政府(幕府)の監視網も「ひとつの“日本”」というものからは程遠かったことも。
・ひとつの国家、ひとつの民族、ひとつの文化、途切れぬ伝統というとき、ワンクッションおいて考えてみるのが必要であることを、歴史は教えてくれる。そう考えることは無責任な相対主義ではないはずだ。
ゴンサレスキリスト教史』冒頭が、使徒言行録一本槍ではなかったことを思い出す。また、マクグラスプロテスタント神学思想史』では、宗教改革という言葉そのものへの問いから始めていた。サンドを読むにつけ、歴史が重層的、同時多発的、平面的広がりを持つものであることを実感する。