弁証法神学のてざわり

 トゥルナイゼン著、国谷純一郎訳『ドストエフスキー』、新教出版社、1957を読んでいるが、これはちょっと・・・・神学者なだけに、なにがなんでも「神」を呼び出そうってわけだな。バフチンジラールドストエフスキー解釈を読んだ後だけに、どうにもならない。「本質」の連呼。
 『ドストエフスキー』読了。後半になって文体に慣れてきて、面白く読めた。バルトが『ローマ書』の第二版を出した頃という時代背景、またこれが戦前に翻訳されて日本の若きキリスト者、文学青年に受容されたことなど考えると、戦前日本キリスト教の行過ぎた内面化に対する理解の手助けともなる。
 こうやって硬質な神学テクストに親しむと、どうにもボンヘッファーが読みたくなる。意を決して、深呼吸して息を止め、ダンボールの山をえいやっと動かし、ボンヘッファーの捜索にかかる。四箱目の、しかも上の本をとりのけた底に、彼が眠っていた。おはよう、お久しぶり、ボンヘッファーさん。