欠けたる器

 柳宗悦『民藝とは何か』(講談社学術文庫)を読んでいる。客体への信頼の強さにはやや躊躇いを感じるが、凝り固まった主体を解放してくれるようなおおらかさは大いに感じる。
 “方処の間隔は、美への認識を新鮮にします。”(同書、49頁)外山滋比古『異本論』を想起させる。異なるコンテクストに置き換えることで、今まで気付かなかった美しさが発見される。日本人が海外のものに驚くとき。海外の人が日本のものに驚く、その驚きに日本人が驚くとき。
 “宗教は民衆に限りない肯定を与えるのです。同じその肯定が、民藝にも示されていると云えないでしょうか。”(同書、62頁)悪人正機的な、あるいは信仰義認的な価値観をもって「自然」を再定義する。柳の中世への過剰な憧れには戸惑いを禁じえないが、美への宗教的接近には頷けるものがある。
 キリスト教信仰においてよく言われる「欠けたる器」という表現を、民藝の発想によってイメージゆたかに受け取りなおすことができるのかもしれない。『ヤコブへの手紙』ラストシーンで、牧師愛用のカップが床に落ちて割れているのが映され、次いで命尽きた牧師の遺体が映される、あの素朴な反映。