試練は贈り物、だと信じたい

 昨日、前任地の近隣教会の信徒より太刀魚巻とお酒と心付を贈られる。その方のご家族が先日亡くなられた折弔電を打ったのがきっかけで、旧交をあたためている。添えられていたお手紙の「試練は贈り物です」という言葉が、深く深く染みわたる。ラングレーを聴きながら返信を書いた。
 『TAROの塔』第二話を観た。丹下健三との火花散るやりとり、また過去においてはジョルジュ・バタイユとの神秘的な出会いなど、わくわくさせられるドラマ仕立てだ。かの子も大げさすぎるほど大げさに描かれているが、あれくらいエキセントリックで演劇的で丁度良い。
 ナポリタンのミートソースを作る際、とんかつソースをちょっと配合したらコクや甘みが強くなって美味いと気付いた。でも入れ過ぎたら、おそらくやきそばのような味になるのだろう。料理で新しい味付けを発見するのは楽しくて美味しい。
 『日曜美術館』でハンス・コパーを観た。ルーシー・リー展を観にいったとき、解説にやたらに登場する名前で、気になってはいた。ルーシーのカップで珈琲を飲みたいと強く思う。ハンスのポットは、ひたすら撫でたい、頬ずりしたいと思う。
 『日本人はなぜ戦争へと向かったのか 第4回 開戦・リーダーたちの迷走』を観る。長い会議、解決策無し、だんだん疲れてくる、とりあえず結論出して早く解放されたい・・・・という素朴な無責任が、あの大きな惨事を招いたことが、非常によく分かるとともに、耳が痛かった。
 前任地で、財政は破綻寸前、人材も決定的に不足、意見は平行線・・・・そんなとき、わたしは「カミサマにお委ねしよう」に“逃げ”なかったか。そのときわたしは長時間の会議で疲れ、どうでもよくなり、結論を先送りにしなかったか。その「カミサマ」は「カミカゼ」に限りなく近づいてはいなかったか。