学び

 おととい、連れ合いと、あるご家庭へとご招待いただいた。若い夫婦と2歳の娘さん、0歳の息子さんからあたたかいもてなしを受ける中で、しみじみと思った。ああ、吹けば飛ぶようなわたしたちささやかな夫婦にも、神から見れば「まだ使い道がある」ってことなんだなと。
 2年半お世話になった携帯電話。かつて不良品ですべてのデータが飛んで以来、どこか不安があった。おとといのご家庭のご主人が軽やかにアイフォンを使っているのを見て、よしわたしも挑戦してみよう、ということで昨日代理店へ。なんと休み。諦めずにもう一軒。そこで清水飛びでアイフォンに。
 今日、母校のチャペルに出たら、ちょうど新入生歓迎会だった。懐かしい。潜ったゼミも目新しい。それにしても学食が値上がりしているのは時の流れか。
 宗教哲学の恩師とも久しぶりに再会、時の経つのも忘れて最近の読書や映画、教会や大学について語り合う。それにしてもアイフォン電池減るの早いな。
 以下は金岡秀友校注『般若心経』中の解説より要約。般若波羅蜜多 般若はプラジュニャー。プラ←パラ(最高の・優れた)+ジュニャー(知る・察する・認識する)般若とは大いなる知恵すなわち仏の知恵。
 波羅蜜多はパーラミター。パーラ(向こう・反対側)→パーラミター(向こう側に到達すること)般若波羅蜜多は、大いなる知恵、最高の知恵に到達すること、すなわち仏の知恵に到達すること。
 これを布施、持戒、忍辱(にんにく)、精進、禅定(ぜんじょう)の五度と合わせて六度ないし六波羅蜜というそうだ。非常に学びになる。いきなり『正法眼蔵』を読んでいるだけでは分かりにくい、仏教の基礎的な教理の学びが補われる。
 しかもその最高の知恵である般若というのは、理性的なものというよりは、理性をも含めた人間の全体的生きざまそのものというか、浄らかな人間の本性そのものたることらしい。そしてその域に達する人は、その知が実践的であるゆえに、むしろ積極的に世に、人に関わってゆくのだと。
 苦しみを除く、抜苦=悲。楽しみを与える、与楽=慈、この慈悲が般若の大きな力であるという。