参与

 (ある方が洗礼を受ける決意を結婚の決断に譬えておられたことに返信して)わたしも信仰の決断について同感です。それは比較を絶する意味で、結婚に例えられる。決断したからこそ、般若心経にキリストの真理を再発見するというような、外から見れば奇妙極まりない出来事も起こる。それは仏教とキリスト教との比較や優劣ではないんです。
 以前立ち読みして気になっていた鷲田清一『感覚の幽い風景』を買いに本屋へ。あいにく品切れ。しかし加地伸行『沈黙の宗教─儒教』という的を射たタイトルに惹かれる。
 また、読んでどうなるのか、読んでも絶望するだけではないか、でも今読まないなら一生読むこともない、そんな躊躇いと葛藤のうちにNHK「東海村臨界事故」取材班『朽ちていった命─被曝治療83日間の記録─』も一緒にレジへ。