元気なときに、杖は見えない

 所用で片道30分ほど歩いた。目的地で軽いめまい。帰りの30分はふうふう。無職になって一年弱。こんなに身体がなまってたんだなあ。引き籠りまくってたもんな…
 ふらふら歩いてようやく自宅近くまで戻った頃、携帯が鳴る。友人からの温かい言葉。自分が支えられて在ることを、あらためて思う。この一年間あまり、とにかく支えられて来た。まったくの他力。それが辛いこともあった。辛い、すなわちプライドのかけら。思えばこのプライドというやつが、どれほど自分の視界を妨げてきたことだろう。
 しかし、連れ合いが病に倒れ、自身も無任所牧師となり、アイデンティティを激しく揺さぶられ心身の弱さに曝されるなかで、そのときになってはじめて、前任地で同僚たちがわたしに激励してくれた言葉の意味が分かった。同僚たちは言った「砕かれなさい」。
 言われていたときには、それこそプライドのかけらが邪魔をして、同僚に反発した。また、そんななかで神に委ねることの意味を「自力で」模索しようともした。しかし今、支えられ養われる身になって、ようやく委ねること、支えられ守られることのゆたかさに気付かされつつある。