逆接について復習

今日は午後から身を寄せている教会の牧師の就任式があったが、残念ながら洗濯や連れ合いのおばあちゃんの夕飯作りなどのため、礼拝出席のみで帰宅。その牧師そして教会の未来を家で祈った。
“真に自ら始める者は創造主たる神のほかにはない。しかるに絶対者は、己れならぬものと「対立する」ことができない。対立する者を持てば絶対者ではない。だから絶対者は己れの否定を(すなわち絶対者「でない」者、相対者、あるいは無限「でない」者、有限者を)己れ自身とする者でなくてはならない。すなわち自由なる絶対者は絶対的否定性なのである。(中略)かくして己れの根源から背き出る自由、すなわちいわゆる「悪の自由」が、根源自身からして説かれ得ることになる。絶対者は己れを否定することを通じてのみ己れを展開するのである。言い換えれば、絶対者は自由においてのみ発現する。”和辻哲郎倫理学(一)」210-211頁.長い引用になったが、京都学派のこうした言説はエックハルトなどに通じる豊かさ、キリスト論の理解とつながっている。こうしたことの消息を小田垣雅也や関根清三から現在も学ぶことができる。