あえて逸らす

 昨日はうちの局で事故発生。上司はピリピリしているはずだ。しかし過酷な郵便量に過酷なノルマのなか「一呼吸置いて安全運転」とか言われても、無理というものだろう。
 連れ合いが元気がない、あるいは不機嫌である(ように見える)。こういうとき、いつも迷う。積極的になんでも手を貸すことがいいのか、敢えて沈黙し、彼女が自ら動き出すのを待つのがいいのか。
 彼女が精神/肉体のバランスを崩して入院したことが、わたしが無任所牧師となった直接の契機ではある。そして彼女とどのように向き合うのか、向き合ってゆくのかは、今も最も難しい課題である。
 前任地近辺はお寺が多かった。あるお寺の掲示板に、いいことが書いてあった。すなわち、夫婦は向き合うのではなく、同じ方向を見つめるものだ、と。たしかに、「現実を直視せよ」の美名のもとに、お互い無理して向き合って議論を重ねる/本音を曝け出す/夫婦喧嘩をすることばかりが良いとは思わない。
 お寺なら同じ方向とは三宝が指し示す真理の方角ともなろう。夫婦が向き合うことに疲れるなら、向き合うのはやめて、一緒に並んでキリストを眺めればよいのだろう。