昨日のこと

おととい、ある方から「なかなか◯◯さんの希望に応えられるような任地が見つからない」旨連絡を頂く。それでいい。わたしの希望どおりになどなってはいけない。すべては神の御心どおりに。むしろ他者に帯締められ、わたしの行きたくないところへ。
毎朝仕事前に新約を読んでいたが、ようやく読み終えた。““霊”と花嫁とが言う。「来てください。」これを聞く者も言うがよい、「来てください」と。渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、価なしに飲むがよい。”黙示録22:17
キリストはわたしたちを招かれる。わたしたちはキリストを呼ぶ。お互い呼び合うだけならそれこそお互い様に「笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった。」ともなろう。
しかしそれは違う。キリストとわたしとが呼び合うとき、距離はすぐ近い。キリストが駆け寄ってわたしの手を取り立ち上がらせ(エゲイロー、アニステーミ)て下さることを聖霊によって知るから。“「然り、わたしはすぐに来る。」アーメン、主イエスよ、来てください。”黙示録22:20