体験できないからこそ意識する

“少なくとも、この物語がつくられたとき、その作者(集団)は、ユダヤ民族をユーディット(ユダヤ女)の名が示すように、「女」として表象させる必要を感じていた。それはもっとも強固な家父長支配の伝統社会を守っているユダヤ民族にとって異常なことだといわなければならない。なぜここで「女」が登場したのか。土岐氏が鋭く観察したように、支配階級=男性への不信がまず考えられる。支配階級=男が国を救うことができないと考えられたとき、それはジャンヌ・ダルクがまさしくそうであったように、子供または女が象徴としてクローズアップされる。”(若桑みどり、『イメージの歴史』、筑摩書房、2012年、251頁。)
“・・・・パリ大学神学部によって宗教的異端の罪に問われて魔女として火刑にされた。一四三一年、ルーアンで出された異端の判決はそのままになっているが、教皇庁は一九二〇年、彼女を聖女に列した。つまり、彼女は魔女にして聖女である。”(同書、269頁。)
以上、旧約聖書外典『ユディト記』と、ジャンヌ・ダルクについての若桑みどりの分析の一部の引用である。ユディトはクリムトのそれがとても有名だろう。わたしは長い間あの作品をサロメを描いていると勘違いしていたのだが。ユディトにせよジャンヌにせよ、男性によって聖女とされたり悪女とされたり、そのイメージが翻弄されてきたことが分かる。しかしそのようななかにあっても、アルテミジア・ジェンティレスキという15世紀の女性の画家が描いたユディトや、クリスティーヌ・ド・ピザンという14世紀の女性の歴史家のジャンヌへの正当な評価にも、若桑はきっちりと言及している。
若桑みどり、『イメージの歴史』、筑摩書房、2012を読了。最後の方は、全文引用したい、写本したいくらい読んでいて面白く、考えさせられた。
東京都庁をはじめとする東京の公共空間における、女性裸体像の彫刻。あるいは、これは若桑本人の言葉づかいだが、少女像の「パンチラ」。行政側の依頼者たち、製作者たちの殆どが男性であり、仮に彫刻家が女性であってさえ、男性の視線に合わせて制作しなければならなかった事情。
自由の女神は男性の産物である。しかし何らかの象徴の歴史を内包する。それに対して日本の公共の場の女性像は、まったくの無思想であることの指摘。“そこには働く女性、知的な女性、個性的な女性像は一人も存在しなかった。”(同書、425頁。)
公共彫刻の、ある女性裸体像の「いやらしさ」を恥ずかしく思った若い女性たちの体験談も報告されている。この体験、不快な感覚そのものを、エロ本やエロビデオを見て育ったわたし自身は決して追体験はできまい。だからこそ、彼女らの感じた不快感を意識して想像する必要がある。
こうして考えると、吉屋信子ジャン・ジュネらの作品を、澁澤龍彦的な美意識のみで味わうことはもはやできないだろう。わたしのなかにある固定化されたジェンダー意識に対して、どこまでも他なるものとしての同性愛。あるいは、他だと思いこもうとしている、わたし自身の内なる求めへの。
同書は、ファシズムの定義や歴史についても、ナショナリズムの歴史とともに詳しく論じられており、イメージ史が通俗的な意味での美術史には決して終わらないことがよくわかる。また、神学書としても示唆に富んだ本である。