素朴の鋭さ

“「神を信じてらっしゃる?」スタヴローギンはいきなり口にした。「信じてますとも」「信仰があれば、山に動けと言えば、山は動くと言われてますね・・・・しかし、どうもくだらないことを言ったみたいだ。でも、ですよ、ぼくとしてはやっぱり聞いてみたい。あなたは山が動かせますか、どうです?」「神がそう命じられれば、動かせるでしょうね」チーホンはまた目を伏せ、控えめな低い声でそう答えた。「それじゃ、神が動かすのと同じでしょう。そうじゃないんです。あなたが、そう、あなたがです、神への信仰にたいする報いとして動かすんですよ」「ひょっとすると動かせないかもしれませんね」「『ひょっとすると』ねえ。いや、こいつは悪くない。じゃあ、いったいなぜ疑ってらっしゃるんです?」”(亀山郁夫訳、ドストエフスキー『悪霊 別巻』、光文社、2012、104-105頁。)
これに似たやりとりが、『カラマーゾフの兄弟』か『白痴』のどちらかにも出ていたなあ。素朴な疑問がぶつけられる。真面目に答えようとすれば、ではイエスの言葉はなんだったのかという新たな疑問にぶつかる。ドストエフスキーにおいては「象徴的な、比喩的な」というような答えは選択肢にない。