“だがつぎのように問うことができる。「大地はまだほんの僅かのあいだ、つまり自分が生まれた瞬間から存在しているだけだと信じる者の方には、それでは確かな根拠がありうるのか。」──彼が絶えずそう言いきかされてきたとして、このことを疑うに足る根拠を彼は見出すことができるだろうか。かつて人間は、自分で雨を降らせることができると信じていた。世界は自分と一緒に始まったと思いこんでいる王様があっても不思議はないであろう。いまムーアとこの王様が出会って議論したとして、ムーアは自分の信念の正しさをうまく証明してみせることができるだろうか。王様を自説に転向させることがムーアにはできない、とは言わない。ただこの転向は特別な意味のものであるはずだ。つまり王様は、世界をまったく別様に見ることになるのである。ひとつの見方の‘正しさ’をひとに確信させるものは、しばしばその見方の‘単純性’や‘均衡’であり、それが転向の原因になるということを想起すべきである。そういうときにひとは断言する。「‘これ’以外にない。」”ウィトゲンシュタイン『確実性の問題』九二(黒田亘訳、「確実性の問題」、『ウィトゲンシュタイン全集9』、大修館書店、1975、30頁。)