わたしの母

友人とフェミニズムや少女性の問題について語り合っていた。そこで、仲町貞子*1とアンナ・ジャービス*2のイメージが結び付いた。母を追悼する娘が、「母」の公共化に抗うイメージ。
仲町貞子にとって、母とは自分の母以外の何者でもなく、教会で高らかに牧師から告げられる「母なる」教会の「母」ではない。彼女にとってそれは虚像である。アンナ・ジャービスにとってもまた、母とは自分の母以外の何者でもなく、社会運動に普遍化された「母の日」の「母」ではない。
若桑みどりが、自由の女神像などについて、イリガライを援用しつつ語っていた。男性による母のイメージ。精神がない、空っぽの、全身が胎であるイメージ。だから中は空洞で、自由に出入りできる。それは娘から見てほんとうの母だろうか?
仲町が教会を拒否して教文館に安らいだのは、おそらく信仰を拒否したのではなかった。教会の「母」が、母ではなく母と発音される父だったからではないか。だから彼女は「冒涜される」とまで言ったのではないか。アンナもまた、商業化された巨大な「母の日」の、複数形の「母」を、父としか感じられなかったのではないか。それは‘わたしの’母ではない。だから断固拒否すると。

*1:“私はときどき教文館へ行く。二ヶ月に一度くらい行く、ここへ来ると私はいいようなく慰められる。亡き母の霊がここのどこにも一杯あるという感じがする。柔らかく暖かい真綿の衣を着せられた快さをおぼえる。不思議なほどだ。何故ぞと聞かれても困る。ただ朝夕に母の語ったキリストの言葉を書かれた本があるというだけである。・・・三十路も過ぎた私である。家の者はみんな笑う。誰かに、この話を私がしたならば、みな同じことをいうだろう。では教会に行けばいいではないかと、でも私は道を説く物強い顔が何とも私にはたまらない。母を汚されたようにさえ思う。私の最大の慰めは、キリストを語った母であり、キリストを信奉した母である。母よ、私の永遠の希望であり慰安である母よ。私は風侘しき日があればまた教文館を思い訪ね行くであろう。”赤木善光著、『イエスと洗礼・聖餐の起源』、教文館、2012、450頁の赤木の引用

*2:http://d.hatena.ne.jp/zubi_gd/20120514