不在から

ペリカンの『伝統』の、「第二章 主流の外側で」を読んでいる。マルキオンやグノーシス主義のところ、相変わらず複雑きわまるペリカンのテクストではあるが、これも面白い。そして現代の問題につながってもいる。
神の深みや永遠に想像力を働かせることのゆたかさの一方で、歴史やこの世界の軽視、そして何より、イエスの人間としての実在やその苦しみの否定がある。グノーシスは神の大きさ、その無限なることをイメージするゆたかさと、歴史(現実)からの逃避の側面とを持ち、「悟った」エリートだけが真理を独占する選民的な宗教でもある。近代のロマン主義の持つ問題点にもつながる。しかしペリカンによれば、このグノーシスからの挑戦を受けたからこそ、正統派キリスト教は神の深みについて、そしてイエス受肉について再考するチャンスが与えられたのだという。
ウルトラマン『大爆発五秒前』を見た。ラゴンという怪獣を海へと還そうとして、海上自衛隊がラゴンが好きだという音楽を流すが、ラゴンは大暴れ。ムラマツ隊長の説明の趣旨は、放射能で突然変異してしまったラゴンはもはや正常ではなく、音楽でも大人しくならないと。
結局はウルトラマンがラゴンを退治し、ラゴンのからだにまとわりついていた爆発直前の原爆も宇宙へ持ち去ってくれて事件は解決。今この時期にこれを見ると、なんとも笑えないものを感じる。現実世界には残念ながらウルトラマンはいないのだと。当たり前だろと言われればそれまでなのだが。
高度経済成長期という時代背景も考えると、当時の日本人が原爆に対して持っていた不気味なイメージもうかがえる。ラゴンは元来は音楽に心和ませる、おだやかな水棲原人だったのだから。
高度経済成長期というよりは米ソ冷戦の水爆の恐怖だろうか。そしてまだ20数年しか経っていない、原爆の恐怖だろうか。しかしこの頃、一方で原発が次々に新造されていったことを思うと、恐怖や拒絶というキーワードの一筋縄ではいかないとも思う。