ペンの帰還

何度も紛失しながら、そのたびに見つかったボールペン。​
伝道師になる祝いに、神学生として奉仕した教会の方から頂いたペンである。その方には縁あって、初任地の会堂改築の際の設計までして頂いた、そんな恩人から頂いた、ボールペン。
この春の桜の季節、こんどこそ致命的に紛失した。また見つかるさと気楽に探し回り、だんだんムキになり、血相を変え、それでも今度ばかりはとうとう見つからず。二週間ほど前、諦めて同じ物を買った*1
今朝、何度も探したはずの場所から出てきた!ペンのことは諦め忘れていた。だから、まったく予期せぬ再会。還ってきた!こんなに嬉しいなんて!
“あるいは​、ドラクメ銀貨を十枚持っている女がいて、その一枚を無​くしたとすれば、ともし火をつけ、家を掃き、見つけるま​で念を入れて捜さないだろうか。そして、見つけたら、友​達や近所の女たちを呼び集めて、『無くした銀貨を見つけ​ましたから、一緒に喜んでください』と言うであろう。”(ルカによる福音書15:8−9)
恩人には、ペンを買い直した際にお詫びの手紙を書いた。もう一度、恩人に手紙を書こう。「ありましたよ!」