想像の限界

録画しておいた『宇宙の渚』を見た。宇宙から飛来したアミノ酸によって生命が生じた可能性が高いと。そういえば、以前ヴォートの『生化学』で読んだ生命誕生の説明では、潮の干満と波による低温水の攪拌によって、波打際でアミノ酸からたんぱく質が生じた旨書かれていたように思う。いずれにせよ「なぎさ」が鍵か。
境界線で、なにかとなにかがぶつかりあい、混じり合う場所。境界「線」とはいえ、固定した静かな線ではなくて、攪拌されるようなダイナミックな境界、越境の生じる場所。そんな場所で、新しいものが創造されるのかと思いを馳せる。
ただ、宇宙関係の番組でありがちな「宇宙から地球を見れば、国境などない」というあの結論は、わたしには共感しきれなかった。そんなことが実感できるのは、実際に宇宙に上がることのできる、一握りのスーパーエリートだけなのだろうなと。過去には宇宙開発でさえ冷戦構造をもろに反映したものだったんだし。
地上で生きているわたしは、国境を感じながら、限られた文化と言語の枠組みのなかでのみ、ものを考えて生活している。宇宙から見て国境がないと言われても、残念ながら、そうですかすごいですね、というくらいにしか分からない。わたしという人間のスケールがちっさいだけなんだろうけれど。
否、そもそも国境さえ感じられていないか。せいぜい区境か県境くらい。
ただ、もしも実際に宇宙から地球を見ることができたなら、特定の宗教とか特定の国家への帰属意識は実感として無くなるのかもしれないなあと、想像することくらいはできる。冷戦時代の宇宙飛行士は、そういう意味で大変だったろうなと。