勉強不足で恥ずかしいけれど

オルガンのコンサートを聴く機会に恵まれた。松居直美というオルガニスト。バッハのコラールやミサ曲を、「クラヴィーア練習曲集第3部」なる典拠によって、教会の聖歌隊と共演、そして独奏。最初に松居氏自身による曲の解説があり、それもとても勉強になった。
バッハのこれらの曲はルター派の教理に厳密に基づいているという。詳しい説明は音楽理論に属するため、残念ながらついてゆけなかったが、三位一体の「三」が要所要所に織り込まれていたり、テノールが仲保者キリストを象徴する曲があるかと思えば、バスが聖霊を象徴する曲があったり。足鍵盤つきの曲は大教理問答を、手鍵盤のみの曲は小教理問答を表していたり。
教会音楽だから当たり前じゃないかと言われればそうなんだけれども、そこまで教理との厳密な対応関係があったとは知らなかった。そしてまた一方で、BACHを表す数字14が音楽構成のなかに織り込まれることで、バッハ自身が曲と一体化するという、キリスト教的というよりはドイツ神秘主義の流れを汲むかのような思想が、おそらくは作曲の構想段階から計算されていたり。そんな話を聞いていると、まるでプログレッシヴ・ロックのようなコンセプトじゃないかと感心してしまった。
これは想像でしかないけれど、ルターからおよそ200年、正統派の時代になり、教理も複雑をきわめ、一般人には理解不能になっていただろう。そんななかで、バッハが教理に忠実に、しかも限りなくゆたかな音楽を提供したことで、聴衆は複雑怪奇な説教講義やちんぷんかんぷんな教理をイメージとして咀嚼できたのかもしれない。かつてのカトリックの宗教画や聖像たちをとおして民衆が福音を理解したように。
「深き淵より、我汝に呼ばわる」という曲の説明の際だったか、聖餐についての説明のなかで、「神の怒りから逃れるために」というような表現があった。たしか17世紀はとても寒い、飢饉や疫病の厳しい時代でもあったと『宇宙の渚』でやっていた気がする。死が日常茶飯事のなかで、現代のような恵みを強調した聖餐理解ではなく、差し迫った神の怒りの痛感、また、その怒りの免除の切望、赦しと救いを希う緊迫感をもって、バッハも聖餐を理解し、曲作りのイメージの出発点としたのかもしれない。