クローンで復活!?

連れ合いが古書店亀山郁夫著、『「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する』、光文社、2007を買ってきてくれた。新書で読みやすく、二日ほどで読了。面白い研究書を読むときはいつも感じることだが、推理小説を読むような躍動感だった。
未完成のうちに著者が死亡した『カラマーゾフの兄弟』。もしも著者が生きていて、続編を書いていたとしたら、どのようになったか。それを翻訳者の亀山郁夫が、さまざまな過去の研究成果や資料を用いて推測するというもの。もちろん彼自身が続編を書けるはずもないので、あくまで推測し得るプロットを提示しているのみではあるが。
そうした続編のプロットないし粗筋の提示も面白かったが、より興味が湧いたのは、ドストエフスキーが当時かなり影響を受けたという、ロシアのキリスト教の異端についての解説だった。鞭身派と去勢派。それに、ニコライ・フョードロフの哲学(神学?)だ。どれも、西ヨーロッパの神学を中心に学んだ者には新鮮な思想ばかりだ。
フョードロフの哲学は、父祖を重んじる等の特色については、とくに珍しくもない。しかし、その崇拝すべき父祖たちを、今でいうクローン技術のようなものを用いて、現実に肉体的に復活させようではないかと大真面目に主張する点には、思わずぎょっとなる。哲学というよりもSFかと思ってしまう。死んだ祖先たちが完全に復活することで、キリストの復活に誰もが与ることができる時代がやって来るというのだ。そしてそうなった暁には、もはや生殖/性は不要となる、というような思想であるらしい。
現代から見ればトンデモ哲学だが、19世紀当時のロシアの社会主義テロリズム、そして異端の複雑にからみあった時代背景の中で、こうした「肉体の復活」にドストエフスキーが深く影響を受けたのは、きっと奇妙なことではないのだろう。しかも彼は癲癇の発作のなか、つねに死を身近に感じていたのだから。
普遍性だけでドストエフスキーを読むのではなく、ロシアの特殊性、そのキリスト教信仰の、いわゆる「異端」性にこだわって彼の作品を読むのも、面白いのだろうと思った。