経典に生き切る

録画しておいた『平清盛』を観た。見事につくられた三十三巻の経を厳島神社に納める物語。その航路で、崇徳上皇の怨念が船を襲う。船には西行も乗り合わせている。彼は読経で対抗し、清盛ら一党は気迫(?)で乗り切り、彼らはどうにか経を納めることに成功する。
当時の人々にとってはscienceというものはまったく頭にあり得ない概念なのだから(というより「概念」なんて視点さえないのだから)、怨念はそう確信された限りでまさにリアルなものとして共有され、人々を恐怖のどん底に落としただろう。たとえば、崇徳院本人が実際には讃岐で穏やかに暮らしていたとしても、「崇徳院の怨霊なり!」と人々が大騒ぎすれば、当事者の恨みの有無など関係無かっただろう。わたしたちが「因果関係」と呼ぶものも、今はscienceのそれなのだが、当時はまさに(日本で受容された)仏教の因果律として理解されていたはず。
「信仰」の意味、そこで体験される内実も、現代と平安末期とでは、ぜんぜん違うのだろう。今は科学がありつつ、しかし「科学で語り得ぬ何ものか」を宗教が語っている(実際にはそこまで単純ではないにせよ)。しかし平安末期は宗教しかない、物語しかないわけだ。科学というような、宗教の「外側から」拮抗し相対化するものがない。物語を(外側から)鑑賞しない/できない。物語に生きるのみ。そこで生じる信仰は、「鑑賞する」現代のそれとは全然違っただろう。わたし自身の頭は小学校以来の教育や社会の影響下で、もはや「科学まったく抜きに」何かを感じ考えるということが不可能なので、その心情や身体的影響をリアルに想像することはできない。もちろんそれはそれで、わたしがわたしの物語を「鑑賞する」ことの不可能性ではあるのだが。