解釈は思い込みなのか

午前中にスヒレベーク『イエス(第二巻)』を読んでいた。スヒレベークによると、聖書学の研究成果などから、ペトロに最初のイエス復活体験が起こり、彼が残りの弟子たちをもう一度呼び集めて、次第に復活体験がシェアされる、ないし他の弟子たちにも起こったのだという。福音書に書かれたイエスの顕現は、出来事そのものというよりは、すでに教会論がある程度準備された後の、メッセージ性を備えた表現であると。また、Q教団の「主の祈り」や「人の子」、あるいはパウロ(以前)のマラナ・タという黙示思想関連においては、イエスの十字架と復活の出来事そのものへの関心はなく、むしろ天上の神の右に居るイエスがすみやかに再臨・審判にやって来るという激しい期待が第一であると。
こうした彼の研究を追っていて気付くのだが、スヒレベークはブルトマンやその後継者たちの実存主義的な復活理解とは異なり、復活の出来事そのものについて、なんの検証もしないことである(もちろんまだまだ書物は続くので、この後でなにか語られるだろうが)。彼は復活の出来事と回心体験とその宣教とを分離できないものとして考えているようだ。これは空想に過ぎないが、もしも科学者がスヒレベークに「復活などありえない」と言えば、彼は安んじて答えるだろう、「うん、科学的にはあり得ないね」。また、もし哲学者が「それは信仰者の実存において起こった自己理解の根源的転換に関する、神話的表現だ」と語るなら、それに対しても「うん、哲学者からすればそうとしか言えないんだろうね」と流してしまうだろう。*1
復活したイエスと出遭った、出遭ってしまったということ、そこから離散した弟子たちの強力な再結集と福音宣教が始まったということの不思議さについて、スヒレベークは科学にも哲学にも代弁させることを許さず、ひたすら信仰の次元に留まり続けている。しかも現代におけるような個人的信条というようなものでなく、圧倒的に他的で外部的な、信仰者(たち)を揺さぶり動かした回心事件として。
また、スヒレベークが福音書を、聖書学の成果を用いて諸伝承の積み重なりや発展として研究し、直情的に既存の教義学ないし信仰的枠組みを語らないことも大切である。彼は諸伝承の積み重なりや編集のなかに、当時生前のイエスと出会い、しかも復活のイエスの体験をした人々が、慎重な配慮や熟考の末に伝承を形成していったプロセスを見ている。つまり復活信仰が即席の、瞬発的な熱狂や流行ではなかったこと、復活の出来事は生前のイエスの言行と循環的に、繰り返し思い起こされ考え抜かれ、時には疑われながら、そのように検証される冷静さも保ちつつ伝承として形成されていったことである。
それは現代のキリスト教信仰にも示唆多いものである。聖書の一句からインスピレーションを得ることもあろう。あるいは何らかの劇的な体験を経て、「これぞ神の御業だった」と‘悟り’、他者にも熱心に伝えて回ることもあろう。しかしそこで大切なことは、それがその人の生き方を変え得るほどに大きな転換なのか、それとも一時の熱中(敢えて厳しく表現するなら「思い込み」)なのか、ときには冷静に考え直してみるということである。あらゆる信仰体験の意味づけのソースである福音書それ自体でさえ、これほどに冷静な考え直しの痕跡を留めているのであるから。*2

*1:“さらに身体におけるイエスの垂直的出現は一体何を証明するのであろうか。ただ信仰者だけが、顕現者を見る。信仰的解釈が事件の核心に入り込むのである。(中略)偽経験主義に信仰を基礎づけようとすると、信仰は骨抜きにされ、その際あらゆる種類の偽問題が生ずる。例えば、この「キリスト論的な見る様式」はイエスの(原文ママ)感覚的に見ることだったのかどうか、それは「客観的」か「主観的」かまた「出現」か「幻視」か、などといった問いである。新約聖書にはこの種の問いはすべて異質である。(中略)顕現それ自体は、結局キリスト教信仰の「対象(object)」ではないのである。”(同書367頁の注より)

*2:“この過程で最初の重要な動機は、ペトロがイニシアティヴをとって弟子を再び集めるのに十分なほどのものであった。だがこの最初の動機について彼らは、信仰上の合意に達するまで互いに意見を交換した。つまり「彼らは疑った」のである。最古のパウロ以前の告白定式でさえも、根源的経験に関する長い神学的熟慮の成果であって、決してその経験の直接的分節・分明化なのではない。”(同書169頁。)