同人誌の熱気

「イエスに妻」?初の文献 米の歴史学者が解読 :日本経済新聞
コプト語の4世紀のパピルスが発見され、そこにイエスの妻について若干言及されていたという。面白い。ふと、アニメや漫画のファンによる同人誌の作成や購読に通じるような想像力を感じた。そのような同人誌においては、あるキャラクター(たち)への強い思い入れから、そのキャラクター(たち)が「本編」以外ではどんな生活をしたり、どんな過去や未来を過ごしたのかというような関心によって、作品が成立する。また、そうしたサイドストーリーをどれだけファンに想像させ、かきたてるかが、「本編」が優れているか否かのひとつの基準ともなる。本編のみ、それ以外はまっ黒というような物語は、むしろあり得ないだろう。そういう意味で、福音書が「本編」として成立した後も、そこに書かれていないイエスの日常なり、弟子たちや女性たち、無名の人々の、「実はこんな人も同時にこんなことをしていた」というようなサイドストーリーが、受け取り手によってゆたかに想像され、ときには文字にもなったとしても、不思議ではないような気がするのだ。 外典や偽典の創作エネルギーは、そういうところにも源泉があるのだと思う。
ヨースタイン・ゴルデルの『フローリアの告白』は、まさにそんな意味で、アウグスティヌスキリスト教に献身する際に捨てた女性が、じつはこんなことを感じ考え、しかも文字にしていたのだという、アウグスティヌスに対する、あるいは彼の『告白』に対する、優れた同人誌(コンセプトが)だと言える。