新しい使い方、新しい意味

ヒレベークは、メシアとか終末論的預言者とか人の子の概念のルーツを、ユダヤ教に聖書学的に求める。そういう意味では、これらの言葉がユダヤ教と断絶した新約のまったく新しい語彙であることを、彼は認めない。しかしそれらの言葉は元来、モーセやエリヤやエノクなど、当時から見ても遠い昔の人物に適用された言葉であったこと。それに対してキリスト者たちは、ついこのあいだ十字架で死んだばかりの人間、まだ調べようと思えば素性その他も確かめられた範囲内の人間に対して、そうした概念を用いたこと。この事態については、スヒレベークはそれをまったく新しいこと、ユダヤ教に例を見なかった事態と考えている。つまり、イエスの生前の出来事にそれらの言葉を解釈語として適用するに当たり、その適用法はまったく新しく、それにともなって語彙の意味も新しくされたのだと。