死亡はそこにある

今日は所用で出かけたが、またしても人身事故の表示あり。大げさに言えば、毎日どこか、わたしの住む近隣の地域で誰かが線路に飛び込んで命を落としていることになる。そして、日常会話としては「ちぇ、人身事故で○○線遅れてるよ」ということになる。実はそこで、人間が血まみれの肉塊となって死亡しているのだが。
毎日のように誰かが線路へと吸い込まれてゆく。それが「ダイヤの遅れ」として処理されゆく社会。十数年前に見た轢死体は、それは言葉に出来ない悲惨さであった。
日本は戦争─平和で言えば、さしあたり「平和」である。しかし毎日誰かが、日本のどこかの線路へと吸い込まれて行っていること。そこには血まみれの死亡があること。決して忘れまい。