雑記

あまのじゃくなもので、新しい帽子を手に入れたら、よけい傷んだ古い帽子を修繕してかぶり続けたくなってきた。インターネットでいくつかの修理店に問い合わせ中。買った頃(22年前)から数年間は、まだ帽子のクリーニング屋が残っていて、3千円くらいで修理からクリーニングからすべてやってくれて、手元に戻った時は新品だった。
知恵の書やシラ書やバルク書も、新約聖書の人の子やメシアの概念形成に大きく寄与したということが、スヒレベークを読んでいて理解できる。ユダヤ教の「中間期」と呼ばれる時期にこうした書物が形成され、また、イエスの活動した時期とも重なるらしい。聖公会の友人が「これらを正典としないプロテスタントの聖書理解(の広がり)には限界がある」旨批判していた。たしかにそうなのかなとも思う。しかしまた一方で、プロテスタントももうすぐ500年。 これはこれで、ひとつの伝統として語るに十分な長さでもあろう。単純に「もとはこうだったから」とも言えない。それぞれの伝統には限界という欠点ないし縛りもあるが、しかし先達が大切に受け取り、教えてきたゆたかさもある。