NOT The End

雑誌『ミニストリー』14号に付録でついていた『死刑執行人もまた死すHangmen Also Die!』(1943年)を観た。監督がなんと『メトロポリス』のフリッツ・ラングだった。しかも原作はブレヒトだという。それだけでも貴重だが、内容は肩書きのすごさどころではなかった。チェコといえばわたしは『存在の耐えられない軽さ』を連想するが、わたしのなかでそれを超えた。密告、裏切り、一方で極限における連帯など、『存在の〜』と時代は異なるが共通のモティーフがある。しかし『存在の〜』は回想して描かれた小説であり映画だが、『死刑〜』は未だナチスが崩壊していない1943年に、ドイツからの亡命者たちによって制作されている。映画の最後に“NOT The End” と出る。NOTだけが先に出て、ぜんぶ大文字。そしてThe Endが出るのだ。この映画を観ている今も、チェコでは弾圧が続き、多くの人が死に続けているという意味であろう。そう、何も終わっていないと。物語が物語でなくなり、外へと飛び出してくるその鬼気に、息が苦しくなる映画。抑制された音楽、地味な演出。それだけに、時折描かれる拷問と暴力は、そこらのバイオレンスものが裸足で逃げ出す暴力性、人間性を完全に放棄した野蛮さに満ちている。一方的にこん棒で殴られ、あるいは粘りつくように尋問され続け、無作為に銃で撃たれて死にゆく人々の姿は「俳優」と分かっているはずなのに、涙が出る。
しかも作者のブレヒトやラングたちに至っては、皮肉なことに戦後のアメリカにおける赤狩りによって、合衆国外への追放を余儀なくされたというのである。ナチスを描いて、戦後はアメリカから追放されるというのも、なんという皮肉だろう。