連れ合いと、旧古河庭園に行っていた。様々な種類の薔薇が綺麗だった。洋館の見学もした。コンドルなる英国人による和洋折衷の見事な建築。30年も空き家で硝子も割れてボロボロだったのを、6年かけて見学可能に修復したのだという。それにしても、古河財閥というのは足尾銅山を経営していたというのを聞いて、複雑な思いだった。この、贅の極みを尽くした豪邸は、村々を鉱毒で崩壊させた巨万の富によって作られたのだろうかと。鉱毒で長期に居住不可能となり、荒れ果てた土地は、原発事故で居住不能となった地域の痛みを想起させる。
いつも思う。自分が好きな文学や芸術や古典的な逸品は、しばしば貧しい人々からの搾取によって生み出されたものである。そのことと、美への志向との折り合いを、どうつけるのかと。