テクストからコンテクストを紡ぐ

外山滋比古『「読み」の整理学』(ちくま文庫)を読了。以前に同じく外山の著作で、読まれたテクストが読者の内部で微妙に作者とのコンテクストを変容させ「異本」を形成するという『異本論』を、たいへんおもしろく読んだ。『「読み」の整理学』のほうはそれよりは堅い内容ながら、やはり学びになった。
外山によれば、ものを読むのは、自分が既におおむね知っていることを前提にすらすらと読んでゆくアルファー読みと、書いてあることは殆ど知らないことで、言葉を一つ一つ手繰り寄せながら格闘して読むベーター読みがあるという。そして外山は学びのためにはベーター読みの習熟が必須であると主張する。そして彼の結論は古典の素読の、なんらかのかたちによる復興の提案である。意味が分かろうが分かるまいが、とにかく投げ出さずに読め。そうすればおのずと、いつか分かる。体育会系な感じだが共感できる。実際、神学部などというところで勉強してきて、今は無任所だが牧師という職種に身を置くと、なおさら実感する。読んで即座に「理解した!/分からん!」と決断しない。分からないなりに、意味を類推しつつ、丁寧に、時間をかけて読んでゆく。そしてあるとき、ああそれはそういうことだったのかという実感を得る。これが嬉しいのだ。
牧師の説教の準備は一週間かけてやれとよく言われる。月曜日に次の日曜日のテクストを読み、五日間あれこれ熟成させ、土曜日に説教の原稿を書く、というような。もちろん実務上なかなかそうはいかないことも多いが、これは外山が言うところの、まさに古典のベーター読みである。月曜日に分かる必要はない。必要が無い。一週間かけて、教会員や社会の人々と自分自身との、コンテクストを紡ぐのだ。