個性の神話の下で生き抜く

http://www.higan.net/navi/2012/11/post-1090.html
自力他力の単純な二項対立ではない。パウロなのかヤコブ(の手紙)なのかの単純な二項対立ではないのと通じるものがある。
日本民藝館監修、『柳宗悦コレクション 1 ひと』、筑摩書房、2010を読了。柳の思想にはロマン主義的なものが深く息づいている。しかも柳は宗教哲学者である。だから、ロマン主義が陥りがちな天才崇拝がない。天才に憧れるのはもちろん夢があって楽しい。ロック・アーティストのいろんな伝説とか。けれども天才が過剰に崇拝され、「オリジナルでなくてはならない」ことが美徳になると、ふつうの人々はしんどくなる一方だ。とくに若者は。「自分は天才ではない」とまでは、さすがに悩むことは少ないかもしれない。けれども、「自分にはオリジナリティが無い」というのは、多くの若者たちの胸を絞めつける思いではないか。音楽や映像の分野においてしきりとパクリ論争が起こるのも、そういう焦りと無縁ではないだろう。
宗教の教典から直接「オリジナルでなくてもよいのだ」という思想を読み取るのは、それぞれの教典の膨大さもあり、大仕事だろう。だから柳のような宗教哲学者が大切なのだ。彼は仏教の諸宗派やキリスト教のさまざまな歴史・文化から、個性という概念がなかった時代に花開いたものを再発見して、その粋を分かりやすくわたしたちに伝えてくれる。
彼が単純な「昔に帰れ」的懐古趣味ではないことは、「工藝の協団に関する一提案」を読んでも分かる。自我が強烈な現代において、もはや自我以前の時代に帰ることの不可能性を十分に自覚しつつ、しかも自我のオリジナリティの可否にこだわる必要のない、むしろ他者との協力や学び合いのなかで生きてゆく可能性を、柳は模索しているのである。
「オリジナル/個性的でなくてはならない」と、「どうせみんなやりつくされてる。自分に(新しく)できることなんかない」とは紙一重だ。そういうしんどさから抜け出せる道があるということを、一人でも多くの人と分かちあえたらと思う。