受け継いでゆくこと

さて、ごみ片付けや洗濯も済んだし、イミンク読むか。正直しんどいけど、こういう不得手な分野も勉強しないとな。
クリスマスの礼拝で、連れ合いの兄がハンドベルの指揮者をしていたのだが、その姿が亡くなった母親に非常に似ているように思われた。彼は、いわゆる顔立ちや背格好はそれほど母親に似ていない。むしろ次兄のほうがそっくりである。また、指揮には誰がやろうが定型もあろう。なぜ似ていると感じたのか。
ここに、故人を偲ぶということの不思議がある。顔立ちや動作の類似には収斂しきれない。「どこが」似ているのかでなく、故人の記憶でもって誰かを見つめること。人を見つめるときに、その人に継承された故人の「わざ」をありありと想起し、その想起でもってその人を眺め直すことの、折り重なり。
録画しておいた『平清盛』最終回を観る。面白かった。死せる清盛が遺族に語りかけるという演出は、いかにも現代的でちょっとくさかったが。だが、幾人かの武将や女性たちの最期については、日本の伝統的な表現技法にも敬意を払いつつ、ざっとではあるがよく描ききったとも思う。
祇園精舎の・・・」とか、「願わくば 花の下にて・・・・」といった言葉づかいは古文の授業で暗記させられて、今でも折に触れ口ずさんだりもするが、こういうのって、西欧の哲学者や神学者ラテン語の詩句を引用するような感じなのだろうか。
平家物語といえば、むかしNHK教育で古文の講義かなんかをやっていた。ぼんやり見ていると講師が、「平家物語を研究するには史的批判的方法を用います。写本同士の異読を比較しながら原文を校訂し・・・・」云々と始めた。あれ?いつ新約聖書学の番組見だしたっけ、と。